1分1秒を大切に!

さて、今回は「時の記念日に想うこと」という話題です。

時の記念日は、日本の記念日の1つで毎年6月10日。
日本で初めて時計(「漏刻」と呼ばれる水時計)による時の知らせが行われたことを記念して制定されました。
記念日ではあるのですが、国民の祝日に関する法律に規定された国民の祝日ではありません。
日本では6月に国民の祝日がないため、時の記念日を6月の国民の祝日にすべきとの意見も多いですが、実現には至っていません。

では、時の記念日の由来について触れてみましょう。
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日))に(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。
始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々)。
とあり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることからこの日となりました。
なお、「漏尅」は水時計のことをいいます。

さて、時の記念日を迎えて、改めて時の大切さを見つめ直してみました。

読者の皆さんの中で、「時間は無限にある」と思っている方はおられませんか。
いいえ、時間も人生も有限です。
たしかに日常生活の中で「時間や人生が有限」と意識することは少ないかもしれません。
親が元気だと、一緒に過ごす時間は無限にあるような気がするでしょう。
体も健康だと、いつまでも元気でいられるような気がしてしまいます。
特に若いころは時間がたっぷりあり、可能性にもあふれているので、時間も人生も無限にあるような気がするものです。
ここに誤った思い込み、落とし穴があります。
時間も人生も無限にあるわけではなく、有限なのです。
時間も人生も無限と思っていると、惰性的な生き方になってしまいがちです。
時間も人生も無限と思っていると、気の緩みが生じます。
そして、やるべきことをいつでもできると後回しにしてしまうでしょう。
やりたいことがあっても、なかなか挑戦しなくなるでしょう。
その結果として、惰性的な生き方になってしまいます。

しかしながら、時間はあっという間に過ぎていきます。
いつの間にか年齢を重ねている自分に気づくでしょう。
「ああ、人生も退職後の後半戦を迎えたが、今までこれといって何もせずに、だらだらしているばかりだった」と。
人生も晩年になって、惰性で人生を生きてしまったことに後悔するのです。
そうならないためにも、今をスタートとして、時間も人生も、無限ではないという認識にきちんと改めていっては如何でしょうか。
時間も人生も、無限ではなく有限なのです。
親と一緒にいられる時間は、無限ではなく有限です。
いずれ親はこの世からいなくなる日がやってきます。
親が亡くなれば、もう二度と、1秒たりとも会えなくなります。

そう、そしてあなたも私も、時間と同じくそれぞれの人生も有限なのです。
人はいつか必ず死を迎えます。
不老不死を実現できている人は誰一人いません。
死んでしまえば終わりだといえるでしょう。
友人と会うことも、家族と会うこともできなくなりますし、遊ぶことも、楽しむことも、笑うことも、今まで出来ていたこと全てが何もかもできなくなります。
死を迎えれば、すべてが終わりです。

時間も人生も有限と思っていれば後悔しないでしょうし、そのためには時間も人生も有限であることを強く意識していく必要があるでしょう。
「人生にはタイムリミットがある」ということですね。
むやみに焦る必要はありませんが、本気で生きることはとても重要なことで必要なことだと言えるでしょう。
ですから、有限な時間として、1分1秒を大切にしてください。
頭で思うのではなく、しっかり自覚しておくことが大切でしょう。
特別なときだけ意識するのではなく、普段から常に意識しておくことが大切だと言えるでしょう。

有限を意識すれば、おのずと緊張感が生まれることになり、気持ちが引き締まるはずです。
「こうしてはいられない」という気持ちになり、前向きの生きる力が湧いてくることでしょう。
泣いても笑っても人生は一度きりですので、好きなことから始めては如何でしょうか。
やりたいことがあればどんどんやればいいでしょうし、人生は「前倒し」を基本として生きていくことが良いのではないかと思います。
だらだら生きるのではなく、きびきび生きるのです。
本気で人生を生きて、生き抜き、1分1秒を真剣に生きていきましょう。

人生は常に本番しかありません。
泣いても笑っても、人生は一度きりです。
時間も人生も有限と思っていれば後悔しないものだと思います。
私の胸中には「時間は有限、努力は無限、後悔は永遠!」という言葉が大きく響いています。
最初は時の大切さを読者の皆さんにご理解賜りたく考えて筆を執りましたが、知らぬ間に人生という大きなことにまで内容が及んでしまいましたことをご容赦願いたく思っています。
ただ、このブログをお読みいただくことで、日々生活をされる皆さんの一助となれば幸いだと考えています。