人生は有限(あるプロ野球選手の生き様)

さて、今回の話題は、若くして亡くなったある野球選手のお話しです。

横田 慎太郎(よこた しんたろう)さんは、2023年7月18日、脳腫瘍のため28歳の若さで亡くなりました。
元阪神タイガースの左投左打の外野手で、実父の横田真之も元プロ野球選手(外野手)です。
ここで横田さんの生前のプロ野球選手としての成績を紹介するのではなく、28年間という短くも光り輝いていた横田さんがどう生きたかを皆さんに知っていただくと共に、一人ひとりに与えられた人生の時間は有限であり、誰も人生がいつ終わりを迎えるかが分からない中、どう充実した人生を過ごしていくのかを考えていただくトリガーにしていただきたくこのテーマを選びました。

横田さんは、2013年のNPBドラフト会議で阪神タイガースから2巡目で指名され、高卒ルーキーとして入団しました。
横田さんは、昨シーズンで阪神タイガースを最後に引退した「糸井二世」と評されるほど、身体能力が非常に高い選手でした。
2016年には1軍登録されたものの、翌2017年に原因不明の頭痛に見舞われ、精密検査の結果脳腫瘍との診断がされました。
半年にわたる入院加療によってその年には症状が寛解したことを公表しました。
しかし視覚面の問題が解消されず、2018年、2019年と実戦への復帰には至らず、本人から2019年での引退の意向が示されました。
9月26日のウエスタン・リーグ最終戦では、8回からセンターの守備につき、2016年9月25日以来1096日振りの公式戦出場を果たしました。
8回の守備では、2塁にランナーを置いてセンター前ヒットを捕球して、本塁へのノーバウンド送球で二塁走者を補殺するファインプレーで現役生活を締めくくりました。
その時の横田さんの視力は、ボールが二重に見え正常な状態でプレーできない中でのファインプレーであったため、「奇跡のバックホーム」といわれています。

阪神タイガースを退団後は、故郷の鹿児島へ戻り、「誰の手も借りずに1人で生活することに一度挑戦したい」との意向から、鹿児島県内で単身生活を送りながら講演やコラム執筆などの活動を展開されました。
また、阪神OB会長の川藤幸三さんがYouTube上に開設している「川藤部屋」というチャンネルへ「プロデューサー」という肩書で参画するとともに、動画を定期的に配信しています。

一方、2020年には足や腰の強い痛みに見舞われ、検査を受けたところ脊髄に腫瘍が生じていることが判明したため、6か月間にわたって入院して抗がん剤の投与や放射線治療によって腫瘍消滅に至っています。

2021年には、阪神入団までの道のりや、脳腫瘍を発症してからの苦悩などを綴った自身初の著書『奇跡のバックホーム』が発刊されました。
NHK総合テレビでは、脳腫瘍が判明した後のリハビリから引退試合に至るまでの映像、本人がスタジオや阪神鳴尾浜球場での収録中に語った体験談などを「神様がくれた奇跡のバックホーム」というタイトルで放送されました。
2022年には、前述の著書に基づくドキュメンタリードラマ『奇跡のバックホーム』を朝日放送テレビで制作され、阪神ファンの間宮祥太朗さんが横田さんの役を演じた再現ドラマに本人の現役時代の映像を交えた構成で、テレビ朝日系列で放送されています。
この年腫瘍の再々発が判明し右目を失明。2023年春に治療を終え療養生活に入っていたが、7月18日に脳腫瘍のため28歳の若さで死去されました。

ここからは、もう少し横田さんの生き様ということにスポットを当てて深掘りしたいと思います。

横田さんは小学3年生からソフトボールを始めると、中学校では軟式野球部に所属しました。
鹿児島実業高等学校への進学後は、1年生の秋から4番打者を任され、3年生の時には投手を兼務し、140km/h超の速球を武器にエースとしても活躍しました。
そんな横田さんが憧れのプロ野球のユニフォームに袖を通して、多くの観客の前で溌剌としたプレーを披露できると思っていた矢先、横田さんを奈落の底へ落としてしまう病魔が身体を蝕んでいました。
2017年のキャンプ中盤に原因不明の頭痛が続いたため、キャンプ離脱後精密検査を行ったところ脳腫瘍と診断されたのです。
その後については前述しましたのでここでは割愛させていただきます。

現役生活でのラストプレーは、「練習でもできなかった」という引退試合でのノーバウンド送球で、相手チームのランナーをホームでタッチアウトにしたプレーでした。
横田さんの視力が正常でない中で成されたプレーであったことから、「魂のバックホーム」「奇跡のラストプレー」と形容されるほどの賞賛を受け、横田さん自身も引退セレモニーでの挨拶で次のようにおっしゃっています。
「最後にまさかこんなに素晴らしい思いが出来るとは夢にも思いませんでした。今まで辛い思いをしてきたこともありましたが、自分に負けず、自分を信じて、自分なりに練習してきたので、『神様は(そのような自分の姿を)本当に見ている』と思いました」と。
脳腫瘍のため、子どもの頃から親しみ一生懸命に取り組んできた野球が、もしかすると出来なくなるかも知れない悲しみや恐怖の中で、「今、自分自身ができるベストプレーは何だろう!」と常に自身へ語りかけながら、脳腫瘍からの実戦復帰へ向けてトレーニングを再開した際には、「同じ病気を持つ人達に夢や感動を与えられるように、これからの野球人生を頑張りたい」とコメントをしています。
現役時代だけではなく、引退をしてからもこのことは常に心の中に強く念じておられたことは、その後の講演活動などをみれば一目瞭然です。
残された人生がどれくらいあるかはわからないものの、大病を経験してからは、今までは精一杯野球に打ち込むだけだと考えていた人生に、実は終わりがあり、有限であることを痛切に感じ取られたのだと思います。
それ故に、動ける間は、視力のある間は、しゃべれる間はということで、2022年3月に脳腫瘍の再々発が判明してからも、右目を失明するなど病状が悪化していましたが、それでも講演についてはリモート方式で同年12月まで続けられ「(さまざまな逆境を)一緒に乗り越えましょう!」と参加者に呼び掛け続けて来られました。
実母のお話しにによれば、右目を失明してからも両手の感触だけを頼りに階段を使いながら講演会場へ向かうこともあったことが、横田さんの並々ならぬ思いを如実に語っているのではないでしょうか。

私たちは横田さんの生き様から、人生という有限の時間の中で、また、その終わりがいつやって来るか自分自身もわからない中で、目標を失わず、うつむかないでしっかりと前を見据えて人生を歩み、諦めることなく、常に昨日より今日、今日より明日と、進むことが僅かであっても向上心を持って前に向かって進みながら、物事にひたむきに取り組む姿勢は、大変尊く素晴らしいことだと教えられます。
読者の皆さんも、有限の人生の中で目標を失うことなく、日々努力を積み重ねてゴールを目指していただければ幸いです。
横田さんの生き様を人生を生き切る教訓として学び取り、well-beingを叶えるために惜しまぬ努力を続けて行きましょう!