千日回峰行からみる気づき
さて、今回は千日回峰行のお話しです。
それでは、密教をベースにした、阿闍梨への過酷な修行をふたつ紹介したいと思います。
ひとつ目は天台宗の比叡山延暦寺です。
比叡山延暦寺では、創建以来1200年、厳しい修行が行われています。
7年に渡って山中を歩き続ける千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)です。
千日回峰行とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の一つです。
満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と称されます。
歩く距離は1日30キロ、7年間でのべ4万キロ。
なんと、地球1周分の距離に相当します。
行者は、一木一草、生きるものすべてに仏を見出しながら祈り続けます。
回峰行の中で最も過酷なのが、700日の修行を終えた5年目に臨む「堂入り」と呼ばれる行です。
食事と水を絶ち、一睡もせず、9日間ひたすら真言を唱え続けます。
堂入りを終えた僧侶は「生き仏」と呼ばれ、人々を導く阿闍梨(あじゃり)の名を授けられます。
これまで記録に残る回峰行者は50人。
歴代の阿闍梨たちは、千日回峰行を終えた後、京都御所を訪れ国家と人々の安寧を祈ってきました。
「千日」と言われますが、実際に歩む日数は「975日」です。
この行は、悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただくことを理解するための行であると言われています。
では、具体的な行の内容を紹介しましょう。
まず、行の初めは先達から戒を受けて作法と所作を学んだのちに「回峰行初百日」を行います。
初百日を満行後に立候補し、先達会議で認められた者が千日回峰行に入ります。
その後7年の間、3年目までは1年あたり100日間連続で、4、5年目は1年あたり200日間連続で比叡の峰々を歩きます。
日々山内の無動寺での勤行のあと、深夜2時に巡拝に出発します。
真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所を礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝します。
途中で行を続けられなくなったときは自害することとなっており、そのための「死出紐」と、降魔の剣(短剣)、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常時携行しています。
未熟であることを示すいまだ開き切らない蓮の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行います。
5年700日の回峰行を満行すると、最も過酷とされる無動寺明王堂で行われる「堂入り」です。
行者は入堂前に生前葬となる「生き葬式」を執り行い、無動寺明王堂で足かけ9日かけて断食・断水・不眠・不臥の四無行に入ります。
堂入り中は明王堂に五色の幔幕が張られ、行者は日に三度の勤行を修する以外はひたすらに不動明王の真言を唱え続けることになります。
ただし、毎晩深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければなりません。
水を汲みに出る以外は、堂中で10万遍の不動真言を唱え続けます。
堂入りを満行し「堂さがり」すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、信者達の合掌で迎えられます。
これより行者は自分のための自利行から、衆生救済の利他行に入ります。
6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60kmの行程を100日間続けます。
7年目は200日間行い、はじめの100日間は全行程84kmの京都大回りで、後半100日間は比叡山中30kmの行程に戻ります。
満行後、満行者は京都御所に土足参内し、加持祈祷を行います。
京都御所内は土足厳禁だが満行者のみ特別に許されます。
これは、回峰行を創始した相応和尚が草鞋履きで参内したところ文徳天皇の女御の病気が快癒したからであるとも、清和天皇の后の病気平癒祈祷で草履履きのまま参内したからとも伝聞されています。
もうひとつ、千日回峰行満行者には「十万枚大護摩供」を行う資格が与えられます。
十万枚大護摩供とは8日間、断食・断水・不眠・不臥で護摩木を十万本以上焚く荒行です(その修業の厳しさから「火あぶり地獄」とも称されます)。
行者は、不動明王に供える米・大豆・小豆・大麦・小麦の五穀と塩を100日間摂取しない「前行」を行います。
また入行前に「生き葬式」をしてこれに臨みます。
ふたつ目は、奈良・吉野の往復48kmの険しい山道を、1000日間歩く修験道の荒行です。
世界で一番厳しいとも言われる修行と言われていて、修験道1300年の歴史の中で、大峰千日回峰行を満行した人は2人しかいません。
それでは、ここからは大峰千日回峰行を満行して大阿闍梨となられた塩沼さんへのインタビューを通して、私たちの生活や人生への大切な考え方を掘り下げていきましょう。
では、皆さんの人生を通して学んできたことなどを踏まえて、皆さんは皆さんなりにこのインタビューの内容に関し、感じ方や響き方も異なると思いますので、ここでは大阿闍梨の塩沼さんがおっしゃっている言葉を紹介することに止めますので、そこからは皆さん自身で自分なりの解釈をしてみてください。
聞き手:「行」とは?
〇行とは行じるものではなく、「行じさせていただくもの」
人生とは生きるものではなく「生かされているもの」
行とは、人生とは、ひとつひとつ見えない徳を積み上げていくもの
〇肉体的にも精神的にもギリギリの状態のところに自分自身を追いやって、
その場所にしか咲いていない悟りの花みたいなものを見て帰ってくる
〇大自然はとても手強く、何が起こっても現実を受け入れるしかありませ
ん。
台風の日があり、嵐の日があり、雷の日があります。
それらを、あぁこうきたか、今度はこうきたか、こう攻めてくるか、
じゃあ自分はこうして乗り越えよう、と闘っていきます。
聞き手:塩沼さんの近著『歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ』でも
書かれてる「歩行禅」ですが、「歩行」と「禅」のつながりについて、ど
のようにお考えですか?
まずは歩くことを通して心や身体を整えていくことが歩行禅の基本になっ
てくると思います。
その上で、歩くことと心には深いかかわりがあると思っています。
つまり、山における歩き方で失敗したことが、人生にも全てつながってる
ってことなんです。
例えば、調子がよくて、どんどん距離を伸ばしたり、いつもより速く歩け
る日ってあるんです。
それでポンポンポンって進んでいったら、次の日すごい疲れが溜まったり。
あとは、いつもと違うスピードで歩いたから、膝とか腰に負担がかかって、
そこからけがをしたりとか。
山の中で実際に歩行禅を実践していくと「あ、そうか」と思います。
人生も、山あり谷ありって言われますけれども、調子のいいときにどんど
んと「あ、行ける、行ける」と思ってやっていると、どこかに落とし穴が
あったりして、どこかでちょっとこけてしまったりします。
そういうことと全部つながっているわけです。
確かに一歩一歩の積み重ねで、こんなに遠くに来たと気づくことがあった
り、一つひとつの過程を大事にできてるかという点において、歩くことと
人生の真髄は、重なる部分があるなと思っています。
そういう気づきは全部、山が教えてくれます。
しかも、山では痛い思いもするから忘れないですし。
自分で歩いて、自分で体験するから、実際に人生が変わっていきます。
でも、これは山の中だけではなくて、都会の中での通勤とか、通学の中で
もできるんじゃないかなと思っています。
以前、ある番組でお話をさせていただいたら、そこの方が通勤のときに歩
行禅をやってみたらしく、「生活や自分のマインドが、いい方向に変わっ
た」とのコメントをいただきました。
「歩きながら反省をしたり、歩きながら感謝をしたりっていうことで、自
分の視野が広くなって、人生が豊かになるんです」と感じます。
そういう皆さんからのメッセージを見るたびに、「ああ、そうか。大自然
じゃなくても、都会の中でもできるんだ」と思うんです。
歩くことって素晴らしいなって。
人類にとって「歩く」行為は、平凡に見えて、実は、現代においても最先
端の行為なんだと思います。
歩くことで心身が整うだけでなく、私たちの環境や風土とつながれる、意
義深い営みなんだと実感します。
如何でしたでしょうか。
皆さんのQOLの向上につながるヒントや気づきが見つかったのではないでしょうか。
千日回峰行の満行は本当に凄いことです。
しかし、そのベースにあるのは私たちが普段行っている歩くことといういたって単純なことの繰り返しともいえます。
その歩くことをベースとした修行の中にはたくさんの気づきがあります。
そのたくさんの気づきを皆さん自身のQOLの向上へつなげていただければ、筆者としても大変ありがたく感じます。
皆さんが今回のこのメルマガをお読みいただいて感じたことを、心の中で温めながら、更に将来や人生の後半戦に向けて大きなものに成長させていただければ幸いです。(ま)