免疫のおはなし

さて、今回は免疫と人類の関わりについて触れてみましょう。

リウマチ・膠原病、クローン病、さらに花粉症、アトピー性皮膚炎などの疾患は、なぜ起きるようになったのでしょうか?
その背景には、ホモ・サピエンスたる人類が何万年もかけて積み重ねてきた進化の物語があります。
そこには、 自己免疫疾患(体を守る免疫が逆に自分の体を攻撃する疾患)と呼ばれる、清潔で快適な環境を求めてきた人類の代償というべき「宿業の病」が存在します。

「免疫」とは、”疫を免れる”と書く字の通り、「一度罹った感染症には二度と罹らないように生体が抵抗性を獲得する仕組み」になります。
皆さんも、はしかや風疹に一度罹れば二度は罹らない、ということは聞いたことがありますよね。
ワクチンはその仕組みを応用したもので、弱毒化した感染微生物をヒトに先に感染させておくことで、強力な毒性をもつ本当の微生物に感染したときには、体が素早く抵抗性を示すことができる、というわけです。

ところが、この免疫のシステムが、感染源の微生物でなく、自分の組織を攻撃することがあるのです。
それを「自己免疫」といい、それにより起きる病気を「自己免疫疾患」と呼びます。
その中で全身性に自己免疫が起きるのがいわゆる膠原病といわれる病気で、全身性エリテマトーデス、関節リウマチなどが該当します。
一方、ある特定の臓器に対して攻撃が向くのは、臓器特異的自己免疫疾患といわれ、例えば、1型糖尿病やバセドウ病、クローン病などの病気がそれにあたります。
そして、免疫システムによる攻撃が感染源の微生物でなく、微量の環境物質に向かって起きることを「アレルギー」と呼び、花粉症やアトピー性皮膚炎などがそれに該当します。
いずれも免疫系の暴走によって起きる病です。
「自己免疫」が起きると何がやっかいかといいますと、感染微生物に対して免疫が攻撃するときは、その微生物がいなくなれば戦いは終わります。
ところが、「自己」を相手に免疫が戦いを始めた場合は、その戦いは「自己」の臓器を破壊しつくすまで終わらない、という点です。
そしてその結果、生体にとって大切な臓器の機能が失われてしまうのです。
例えば1型糖尿病では、膵臓が自己免疫によって攻撃、破壊されるため、膵臓が分泌しているインスリンという物質を全く作れなくなって、糖尿病になってしまいます。
そのため、この病気になった人は一生、インスリンを打ち続けなければならないのです。
あるいは関節リウマチでは、関節が免疫の主たる攻撃対象になって壊されますので、患者さんの身体機能が大きく障害されます。

このように、自己免疫が起きた場合は生体にとって破滅的な結末をもたらすため、当初、免疫学者たちはそのようなことが起きるはずがない、と考えていました。
高名な免疫学者であるポール・エールリッヒはそのことを、「自己中毒忌避説」と述べています。
免疫系が自己を攻撃するような破滅的なことが、「進化」の過程で選択されるはずがない、生体はそれを防ぐための仕組みを備えているはずだ、というわけです。
ところが、実際には自己免疫疾患やアレルギーといった病が存在します。

では一体それはなぜなのでしょうか?
もう少し深掘りしていきましょう!
近年の医学の進歩は、この謎を解明しつつあります。
遺伝子の解析技術、そしてバイオインフォーマティクス(生命情報科学)という学問の発達によって、我々はシベリアの氷につつまれていた古代人の骨から遺伝子を取り出して、それを、あたかもその古代人の細胞が生きているかのように、それぞれの免疫細胞の働きを再現できるようになってきました。
その結果見えてきたのは、自己免疫疾患やアレルギーというのは、人類が何万年もの年月を様々なエピデミック(地域における感染爆発)を乗り越えながら生き延びてきたことと、切っても切れない関係にある「宿業の病」であるという姿です。

抗生剤もワクチンもなく、エピデミックと絶望的な戦いを繰り広げてきた過去の人類と、新型コロナとともに生きる現代の私たち、そして、冒頭に提示したような未来の人類、それらはすべて遺伝子という見えない糸によってつながっています。
そして、それらの糸が絡みあったとき、免疫暴走による病がこの世界に出現するのです。

私たちは個々人で少しずつ異なった遺伝子をもっています。
学校で習ったと思いますが、ヒトの遺伝子は、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)というたった4個の塩基の組み合わせによって書かれています。
しかし、その配列はヒト一人で約30億個にも及び、それが個々人の違いを形作っているのです。
その天文学的な数字になる遺伝子配列同士の関係を、確率論や統計学などの数理学的手法を用いてコンピュータで比較解析していくのが、バイオインフォーマティクスという学問になります。

免疫学等の学問の発達によって、例えばある病気にかかわる遺伝子変異を見つけ出し、その遺伝子変異を持つ人が、ある村である時代を境に急に増加したというような事実を明らかにすることができるようになりました。
そこから、その遺伝子変異が生まれることとなったイベントを、歴史や文化(例えば疫病の発生や異民族との交配、特有の食習慣など)の観点から、今は化石となっている過去の生き物や、感染微生物にも、それぞれが病気の発生につながることとなった物語があり、遺伝学やバイオインフォーマティクスはそれを解明するための助けとなります。
かの有名なスティーブ・ジョブズは「テクノロジー(自然科学)とリベラルアーツ(人文科学)の交わるところにこそ大きな価値がある」と述べましたが、「免疫学」は今まさにその交差点を渡ろうとしているのです。

では、全世界を震撼させた新型コロナウイルスによるパンデミックを例にとって、少し深掘りしてみましょう!

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まった当初、「新型コロナ肺炎の重症化にネアンデルタール人由来の遺伝子が関係していた」という報道がなされたことを覚えている方がいるかもしれません。
新型コロナ肺炎の重症化率は、地域によって著しい差があり、日本人を含む東アジア人やアフリカ人は、ヨーロッパ人に比べて重症化しにくいことが知られています。
そして、その理由として第3染色体上にある一連の遺伝子群が関係していることが分かってきました。
このように関係する遺伝子群が同一の染色体上に存在する場合は、それらすべての突然変異がランダムにおきたと考えるよりも、そういう遺伝子をもつ「誰か」と「ある時点」で交配したためにもたらされたのではないかということが疑われます。
そして、その「誰か」がネアンデルタール人であったことが分かったというのです。
それでは、ネアンデルタール人に由来する遺伝子とは、どのような性質をもっていたのでしょうか?
そして、それがなぜ新型コロナ肺炎の重症化とかかわっているのでしょうか?

ネアンデルタール人は、およそ40万年前にアフリカを出たあとその後の長きにわたった厳しい氷期の間、寒冷なヨーロッパから西アジア、シベリアにかけて暮らしていました。
そのために、細菌感染に対する強い耐性を備えていました。
一方、このような「免疫を活性化しやすい」遺伝子は、免疫の暴走が悪さをする疾患においては悪く働くことがあり、現生人類のアレルギーや気管支喘息に罹りやすい58種の遺伝子のうち12種類が、ネアンデルタール人に由来する遺伝子であることが知られています。
そして、新型コロナにかかわる遺伝子についても、このようなネアンデルタール人由来の「活性化しやすい」免疫の働きが悪さをした可能性があるのです。
新型コロナの重症化にかかわる第3染色体上のクラスター遺伝子が、どこで現生人類に取り込まれたのかを調べるために調査が行われました。
約5万年前のものと推定される南ヨーロッパのクロアチアと、12万年前と6万年前のものと推定されるシベリアのアルタイとチャガスカヤの、3体のネアンデルタール人の遺骨から取り出したDNAと現生人類の遺伝子とを比較しました。
すると、クロアチアのネアンデルタール人は、新型コロナウイルス感染の重症化にかかわる13個のリスク遺伝子のうち11個をホモ( 同一細胞内に同一の遺伝子が対になって存在すること)の形で持っていました。
一方、アルタイとチャガスカヤからみつかったネアンデルタール人は、これらのリスク遺伝子のうちの3つだけをホモで持っていました。
これらのことから、ネアンデルタール人から現生人類への新型コロナにかかわるリスク遺伝子の受け渡しは、南ヨーロッパで起きたものと考えられます。
そしてこのネアンデルタール人に由来する新型コロナの重症化遺伝子は、予想されたとおりネアンデルタール人との交雑のなかったサハラ以南のアフリカ人には全くみられませんでした。
一方、ヨーロッパ人では8~16%が、このネアンデルタール人由来の新型コロナリスク遺伝子を保有していました。
そして、東アジア人もネアンデルタール人由来の遺伝子を受け継いでいるはずですが、こと新型コロナのリスク遺伝子については、これをほとんど保有していませんでした。
このことは、新型コロナがヨーロッパ人で重症化しやすく、アフリカ人や東アジア人では重症化しにくかったという疫学的な知見とも合致しました。

ここまで免疫と人類の関係、そして新型コロナの重症化の裏に潜む何万年もの前からの遺伝子的な話をしてきました。
現代人は「自己免疫疾患」という自分自身を攻撃してしまう疾患と日々闘っています。
その疾患のシステムは徐々に解明され、解決の道や対策も出て来ています。
今後あらゆる「自己免疫疾患」への対処が可能となることで、私たちが目指すQOLが向上していくことは明白です。
そしてwell-beingを叶えるためにも、今後の進展に期待しましょう!(ま)