高齢者にとってのコロナ禍

さて、今回のお話しは、フランス文学者の加藤恭子さんのエッセーのお話しです。

先日、一般財団法人第一生命財団が出版されている「The Community」の №168を拝見する機会がありました。
その中で目に留まったのは、フランス文学者で第一生命財団顧問をなさっている加藤恭子さん執筆の、「『高齢者』としてコロナ禍を生きて」と題したエッセーでした。

コロナ禍の中で、多くの高齢者がコロナウイルスによる感染症で亡くなられています。
また、コロナに感染した高齢者は重症化しやすいといわれ、出来るだけ人との接触を避けるため外出を控えるようになりました。
しかし、それだけではなくエッセーの中で加藤さんは「新型コロナは「高齢者」のネットワークそのものを直撃し、そして衰退させていった」と述べておられます。
命を永らえた私たち、特に高齢者の方たちにスポットを当てて述べられたこの言葉は大変重く、そして深いものだと感じました。

コロナウイルスの感染症対策と称して、今まで高齢者の馴染みであった場所が次々と通常の営業をしなくなりました。
加藤さんは、同じ美容院に通い、同じデパートの特定のお店に行き、曜日によってどこに行くかも、誰に会うかも決まっているような平凡な日常は壊されてしまったと嘆いておられます。
この平凡な日常こそが、今まで高齢者のコミュニケーションの中枢を成すものであったとおっしゃっているのだと感じました。

若年者や壮年者は、コミュニケーションツールを複数使いこなして生活をしています。
LINEやFacebookに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などがそれに当たります。
コロナ禍の社会の中でも、感染リスクがないこのようなコミュニケーションツールの重要性は否定できません。
しかし、多くの高齢者はリアルな対面でのコミュニケーションスキルしか持ち合わせていないため、コロナ禍でそのスキルの使用を止められてしまったが故に高齢者のネットワークが衰退の憂き目にあっていると言えるのでしょう。

そして、加藤さんは当たり前のことにもかかわらず、私たちが見逃してしまいがちなことにも触れられています。
原文のままご紹介します。

そもそも、「高齢者」になっていくのは「高齢者」本人だけではない。
「高齢者」のネットワークそのものが高齢化するのである。

ネットワークが高齢化により弱まっていたところに、トドメを刺すが如く新型コロナがネットワークを直撃し、高齢者が何十年もの間に培ってきた平凡な日常が短期間に断ち切られてしまったわけです。

そして加藤さんは最後に、コロナ禍で短期間の間に大きく変化を遂げた社会についてこうも述べられています。
「高齢化によって起こるであろうことを、早回しに見せているように思えてならない。」と締めくくっておられます。
コロナ禍が、高齢化により起こる社会現象を一足飛びに現実のものとして我々に見せてくれる結果になったと…。

加藤さんはこのエッセーを通じて、私たちに「気付き」を与えてくださったのではないかと思います。
1+1=2といったようなハッキリとした”解”はないかも知れませんが、社会として、またその構成員である地域、家族、個人が何が出来るのか、何をすべきなのかへの一石を投じてくださったと思っています。

これから更に超高齢化する日本社会に、どの国も経験のしたことのない社会的な大改造へ向けて舵を切っていく処方箋が用意されているか否かは誰にも分かりません。
ただ、これまで幾多の試練や困難を克服してきた日本人の英知と経験に期待をしながら、QOLジャパンも、微力ながらお手伝いが出来るようあらゆる方向にアンテナを張り巡らせながら、皆さんに正しい情報をいち早くお届けするとともに、皆さんとの確固たる情報共有のために努力をしていきたいと考えています。