点字の壁と扉

こんにちは。 ウクレレ講演家・盲目のセラピスト亀ちゃんです。

今回は「点字の壁と扉」というお話です。
目が見えなくなると医師から言われ「今のうちに何かを準備しなきゃ…」と焦りの中、思いついたのが「点字を習うこと」でした。
当時はまだ携帯電話を持っていなくて、公衆電話の電話帳で「点字」を教えてくれそうな所を探し、電話を掛けるのですが、「うちは、そんなことはやってません」と、なかなか取り合ってもらえなかったのですが、ようやく、ようやく教えてもらえる所にたど
り着けました。

それから毎晩、仕事から帰って点字を読む勉強をするのですが、私にはどうも難しくて、点字はとても高い厚い壁のように思われました。
そんな中、幼い二人の子供が毎晩「お父さん、頑張ってね」とおやすみなさいの挨拶をしてくれるのが「この子達のためにも頑張らなければ」と、私の心の支えでした。

それでも自分では精一杯頑張っているのに、どうしても読めないことに、段々自信を失っていきました。
その当時は「私は指が太いから」や、「指の皮が固いから」など、出来ない理由ばかりを考えるようになり、とうとう点字の先生に「先生、私にはどうも点字は無理なようです」と泣き言を言いました。
すると先生が「そうですねぇ、難しいですねぇ」と受け止めてくれた後、これは私も聞いた話ですが、の前置きの後「昔、両手と視力を失った方が、くちびるで点字を読まれたそうです」と話をしてくれました。
私は衝撃を受け、泣き言を言っている自分が恥ずかしくなり、「もう二度と泣き言は言わない。もう一度頑張ってみよう」と、心に強く誓いました。

そこからは、前よりも真剣に、前向きに練習をするようになり、少しずつ少しずつ点字を読む速度が上がってきました。
ある日、先生が「西亀さん、だいぶ速くなりましたねぇ。ちょうど飛行機が飛び立つ前に滑走路でスピードが上がり、もう少しで飛び上がるところまできましたよ」と教えてくれました。
私はその言葉で光が見えた気がし、さらに練習に力が入りました。
そして、あの運命の日になりました。
「西亀さん、飛びましたね。もう大丈夫ですよ」の言葉を先生からもらい、思わず涙が出ました。

目がみえなくなると言われた日から、約1年間、将来の心配をしない日がなかったのですが、その言葉によって、すっと「あぁ、何とかなる。絶対無理が、出来ないと思っていたことでも、あきらめなければ何とかなる」と、分厚い壁が『扉』に変った瞬間でした。
そこから、新しいことに挑戦したり、新しいことを見つけたり、新しいことができるようになっていきました。

数年後、奇跡的に先程の「くちびるで点字を読んだ人」、藤野先生に出合うことができました。
その藤野先生が「私の好きな言葉を書きます」と、肘から先を失った両手で、上手に点字のタイプライターを使って点字で書いてくださいました。
東京都交響楽団で常任指揮者を務められたことがある「車椅子の指揮者」、ジェームズ・デプリーストさんの『障害を壁と思うか、扉と思うか、それは本人次第』の言葉でした。
今も、よくこの言葉に助けられています。

私にとっての点字の勉強は、ただ点字が使えるようになっただけでなく、「壁を扉と思う」ことを教えてくれた大切な体験でした。
正にマンガ『ドラえもん』の「どこでもドア」を体験しました。 にこっ! 幸せの入り口屋 亀ちゃん