子どもを産み育てる自己責任とは?
さて、今回の話題は、自己責任原則とは?という視点のお話しです。
自己責任原則とは、一般的には投資者が証券取引等の投資判断を誤り損失を被ったとしても、それは全て自らが負担するという原則のことを言います。
常にリスクの伴う証券取引等においては、投資家はそのリスクを十分理解したうえで、投資について調査・検討し、自らの責任の下で投資を行わなければならないことを指します。
この自己責任原則に直接的には関わりがありませんが、昨今、子どもを産み育てるということに関しての「自己責任」ということが話題となっています。
それではこの点に絞った「自己責任」について深掘りしてみましょう。
最近「子どもがほしくない」と考える20代が増えています。
2023年に行われた民間の調査(BIGLOBE「Z世代の意識調査」)によると、18~25歳の約5割が子どもをほしいと思っていないという結果が出ました。
その理由を尋ねると、「お金の問題」以外でもっとも多かったのが、「育てる自信がない」という回答が5割を超えていました(複数回答)。
なぜ20代は子どもを育てる自信がないと思っているのでしょうか。
適切なロールモデルがないことが、子どもを持つことを躊躇させる原因になっているといいます。
会社の先輩女性が、仕事と家事・育児で疲弊している様子を見たら、女性は怖気づきますよね。
夫が1週間や2週間だけ育休を取って『イクメン』みたいな顔をされても、『いやいや、これからずっと大変なのに』と思うはずです。
では、なぜ女性ばかりに家事・育児の負担がかかるのでしょうか。
ひとつには、まだ男性中心的な家事分担システムが残っているからです。
いまや夫婦ともに働くのが当たり前となっています。
それなのに、妻が家事労働にかけている時間が圧倒的に夫より長いのが現状なのです。
日本の多くの企業がいまだに「昭和型」の「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担をベースにしていることも、共働き家庭の子育てを困難にしている元凶と言えます。
業務の徹底的な効率化をせず、長時間労働や、休暇が取りにくいなど、昭和的な働き方のまま人件費を削るために人だけを減らしてしまっています。
すると1人抜けただけでも、他の人に負担がかかることになります。
今の若者は過剰なまでに『人に迷惑をかけてはいけない』という意識がありますから、男性は特に子どもがいるからといって働き方を変えることが難しく、出来ないと言えるでしょうね。
結果的に女性の負担が重くなってしまいます。
この状況は悪循環だと言えます。
これからはそういった旧来からの日本型のシステムを変えて、安心して休みが取れて、他者に頼れる社会を目指すべきでしょう。
こういった現状がこのまま変わらないのであれば、若い共働き家庭の方にとっては、出産・子育てをリスクと感じとってしまうだろうことが容易に想像出来ます。
結論を先に述べるなら、今日のテーマである子どもを産み育てるということに関しての「自己責任」は、実は日本の社会構造の問題なのです。
ただ、最近の若い人は過剰に「自己責任」を感じる傾向にあるため、中々それが社会の問題とは気づきません。
それも、子どもを持つことを躊躇する原因のひとつだと言えるでしょう。
私も二人の子どもを育てましたが、子どもはめっちゃかわいいし、毎日新しい発見があります。
この発見・気づきの経験が、一回りも二回りも人間を大きくしてくれる原動力になると考えています。
子どもというままならない存在と暮らすことで、自分はそれまで「自己責任」という概念に縛られながら、『昭和型』の働き方をしていたことに気づいていただき、軌道修正を行っていただけたらと強く感じます。
若い男性にアドバイスするとすれば、パートナーの話を途中で遮ったり、中途半端なアドバイスや批判をしたりせずに、最後までじっくり聞くことが大切だと言えるでしょう。
夫婦も他人なので、女性が何に悩み、何を我慢しているか、きちんと話し合って、情報共有していくことがとても大事だと言えるのです。
世間では、子育て費用の家族負担が大きすぎるとの指摘があります。
政府が子どもや家族への支出を十分に行っていないという構造的な課題を解決しない限り、子どもを育てやすい社会には中々変わっていくとはならないでしょう。
今の日本社会では、所得が低い若い世代が子どもを持つことが難しく、中間所得層以上の人でしか子どもを持てない構造になっているのが現状と言えます。
そこにメスを入れ、経済的に大鉈を振るってこそ若い世代も子どもを持てる社会構造へと変えることが可能となるのではないでしょうか。
また、日本社会全体に『子どもには優しくしなければいけない』という明確なメッセージがないのも問題です。
例えばドイツでは、『子どもの声は騒音ではない』と法制化されています。
日本の地方自治体でも、『笑顔で子どもを見守る条例』などを制定すると、その自治体に住んで子育てしたい人が増えるかも知れません。
ベビーカーを蹴ったりするのは、その子どもや親にとっては迷惑千万のことですので、シチュエーションによっては、迷惑行為禁止条例で迷惑行為に指定されればいいかも知れませんね。
以前、先にあった幼稚園の周りに後発で戸建て住居が張り付き、その住民の方が子どもの声が五月蠅いと施設へクレームを言ったというニユースがありましたが、正しくこれは今で言うカスタマーハラスメントの典型的なケースでしょう。
職場や地域社会に蔓延る色々なハラスメントも、防止法の施行によって、意識の変化が生まれつつあります。
やはり法律や条例の制定も、広くあまねく意識の変革を促すために大変大事だと言えるでしょう。
私が以前男女共同参画事業に関わっていた時に、フェミニストで社会学者である上野千鶴子さんのお話しを間近で伺う機会がありました。
日本の社会では、育児だって自助が原則、家族だけで負担しなさい、自分で産んだのだから自分で責任を背負いなさい、という自己決定自己責任の原則が横行しているとおっしゃっておられました。
出生率が上がらず、少子化がこんなに進むのは、子産み時の若い世代が、「もう自分たちだけで子育ては担いきれない。」と悲鳴をあげているからで、子どもを産んだとたん、出産ペナルティーと言ってよいほど産んだ女性には不利益が降りかかってくるし、子どもを育てるには膨大な費用がかかるのが現実だと。
日本で待機児童ゼロが言われたのはつい最近のことで、産まれた子どもが確実に保育所に入れる保証があれば、親はどんなに安心して子どもが産めるだろうか。
子どものために使われることが担保されていない児童手当の金銭給付より、100%子どもの育児支援に利用されるサービス給付の方が、少子化対策には絶大な効果があるでしょう。
保育所入所に母親の就労の有無だのという条件をつけるべきではない。
なぜなら、どんな子どもにも育つ権利があり、それを社会が分かちあうのは当然だからとおっしゃっています。
「その負担を若い両親に、しかも母親のワンオペ育児に委ねるのは不公正だ。」という「常識」がようやく社会に定着してきたようだ。ただ、その「常識」に追い付いていないのが政治であるとも…。
わたしには夢があります。
子ども手当は親にではなく子どもにつくものだ。
それも1万円、1万5千円だのというせこい額ではなく、親から自立していけるだけの十分な額と言える8万円とか10万円とかをつけるべきだろう。
わけても日本は14歳以下の労働を国が禁止しているのだから、その年齢に達するまでは国が子どもを養う責任があると。
それだけの給付がつけば、子どもは嫌な親から逃れて「おばちゃんちの子どもになりたい。」と持参金付きで移動できるようになるだろう。
3人くらいそういう子どもを預かればそれで食べていける。
子が親を選ぶ。そうなったらどんなにいいだろうか。
このお話しを伺い、これが可能となれば所謂「親ガチャ」の呪縛から子どもたちは解放されるだろうなあと思ったりしました。
私どもQOLジャパンは、子どもを持つ親やこれから子どもを持ちたいと思っている大人にもQOLの向上を目指していただきたいですし、ましてや今後成人して日本を背負うことになる子どもたちにとっても、QOLの向上は必要不可欠です。
今一度色々な立場・立ち位置からQOL向上について考えていただき、その中から大切な「気づき」を得て、それを糧としてwell-beingを叶えていただければ幸いだと考えています。(ま)