デス・リテラシーを磨こう!
さて今回は、恐らく誰もが経験するであろう「デス・リテラシー」について掘り下げていこうと思います。
「デス・リテラシー」は、人の死や看取り、喪失について「知り、話し、考え、備える力」のことを指します。
簡単に言うと、次のような力のことだと言えるでしょう。
・死や病について正しく理解する力
・自分や家族の最期をどうしたいか考え、言葉にする力
・亡くなる人や遺された人を支える社会的な仕組みを知る力
では、なぜ「デス・リテラシー」が重要なのでしょうか。
なぜなら、終末期や死に関連するケアの情報についてアクセスし、その情報を理解して活用するための実践的な知識やスキルだからです。
超高齢化社会と言われて久しい日本ですが、その日本における「デス・リテラシー」の醸成状況に関しては、ある調査の結果ではどうやら世界と比べてみると低水準なようです。
日本では年間約160万人が死亡する多死社会に突入する中、医療や介護の逼迫で病院以外で最期を迎える人が今後増えることも予想され、この調査を行った千葉大や北海道大大学院などの研究グループは、事前に終末期に関する地域のサポートなどについて理解を深めることが望ましいと指摘しています。
「デス・リテラシー」はオーストラリアの研究者が考案した指標です。
「人生の最期を迎える人が必要とする医療・介護サービスの制度についてどの程度知っているか」など29の質問項目で構成されたものを、5段階で回答する形となっています。
研究グループではこの日本語版を開発して、昨年2月に全国の20~79歳の男女2,500人を対象に調査を実施しました。
その結果、日本のスコアは10点満点中3.82点となって、調査した6カ国の中で最も低くなりました。
特に終末期ケアの支援を担う地域組織や団体についての知識のスコアが低くなっています。
主な国の「デス・リテラシー」の平均スコアは次のとおりです。
イギリス:4.76
オーストラリア:4.83
スウェーデン:5.15
研究グループは、日本のスコアが低い理由については、日本では国民皆保険制度や介護保険制度が充実していて、終末期は行政や専門職に任せきりになることが一般的なため、市民自身が知識を得て動く必要性を感じにくい環境にあることが可能性のひとつとして考えられると分析しています。
そして、死を忌避すべきものとして遠ざける現在の日本の文化的背景も影響している可能性があるのではと指摘しています。
また、現在の日本では病院で死を迎える人が7割程度いて、海外に比べて突出して高い割合だと言うことがこの結果を裏付けています。
ただ、多死社会の到来によって医療や介護人材の不足が生じて、自宅など生活の場での死のケースが今後増えることが予想されます。
今回研究グループが日本版の開発にあたり苦労した点は、例えば「日本の文化や法制度に合わせるため、原版にある『注射の投与』という項目は、日本では一般市民が行えないため 『投薬管理や軟膏塗布』といった身近な介護行為に言い換えるなどの修正を行うことにより、日本の実情に即した測定が可能となりました」と述べています。
本共同研究グループは、「本尺度が完成したことで、自治体や医療機関は『人生の最期を支える地域力』を客観的な数字で把握できるようになります。例えば、人生会議の啓発活動や、市民向けの介護教室を行った前後にこの尺度で測定することで、『イベントの効果があったか』『具体的にどの能力が伸びたか』を可視化できる」と述べ、この指標を活用し、地域全
体で人生の最終段階を支え合う「コンパッション・コミュニティ」(病気・障害・高齢・深い悲しみなど、人生のつらい局面にある人を、医療や専門職だけに任せず、地域全体で支えようとする取り組み)の形成に向けた具体的な支援策を提言していきたいと結んでいます。
いざというとき、住み慣れた場所で最期を迎えたいと自分や周囲の人が希望する場合、事前にどんな準備が必要で、地域でどんなサポートを受けることができるのか、情報収集しておくことが望ましいと言えます。
「高齢者だけでなく、仕事と介護に追われる『ビジネスケアラー』の予備軍とされている40、50代も、情報を知っておくことによって落ち着いて対応することができる」との指摘もあります。
また、終末期の高齢者らを地域で支える仕組みづくりも重要です。
人材不足が明らかな現状においては、介護が必要な人たちを支えていくためには、地域の力を活用する以外にありません。
死や終末期は素人が手出ししにくい領域と思われがちですが、地域住民でも当事者を支えるパートナーとして重要な役割を果たすことが出来ます。
住民が主体となって高齢者の社会参加の場を作ることなどが、人生の最終段階を支え合う地域づくりにつながっていくでしょう。
この調査の本質は、「身近な人と死について話せそうか」「具体的な手助けを思い浮かべられるか」「困ったときに頼れる先が思い出せるか」といった、とても大切な行動の第一歩目に関わることです。
この調査に答えながら、「自分は意外と分かっていないかもしれない」と感じた人もいたはずです。
調査の結果、日本人にはある傾向が見えてきました。
平均点は、他の国と比べると低めでした。
一方で、身近な人との別れを通して、命について考えた経験は、多くの人が持っていました。
しかし、実際の行動に当たる各論部分の、体を支えるような具体的なケアの方法や、地域でどんな助けが受けられるのかについては、分からない人が多かったのです。
また、援助を必要としていても相談先が思い浮かばず、その場で立ち止まってしまう人が、少なくありませんでした。
研究者たちは、これを「努力が足りないから」とは考えていません。
むしろ、制度が整っているからこそ起きる問題だと考えています。
日本においては、介護や支援の仕組みがしっかりしていることで、「自分で探さなくても何とかなる」社会になっています。
その一方で、誰がどんな支えをしてくれるのかを、自分の言葉で説明できる人が減って来ています。
実は裏返して見てみると、仕組みがうまく動いているほど、私たち一人ひとりの中にある理解や準備は、育ちにくくなっている現実があるのです。
死は、突然現れる特別な出来事ではなく、日常の延長線上にあります。
それでも、他の人の死に向き合うたび、私たちは同じところで立ち止まってしまいます。
この調査やその先にある研究は、その立ち止まりを個人の弱さではなく、社会の中にある「空白」として示しました。
言葉が出てこないとき、頼る先が思い浮かばないとき、その理由を考える手がかりが、この「空白」にあると結ぶことが出来ると言えます。
では、調査内容や分析が出来たところで、「デス・リテラシー」に関してまとめをしましょう。
ここまで読み進めていけば「デス・リテラシー」があると、本人も家族も「どんな生き方・終わり方を望むか」を前もって話し合いやすくなるだろうという意識付けは出来たのではないでしょうか。
高度な医療が進んできた現代では、延命治療や在宅看取りなど、選択肢が増えているために、本人や家族の思いに「どうしたら良いのだろう」といった迷いが生じることがしばしばあります。
一定の「デス・リテラシー」があると、仮に本人との意思疎通が希薄であったとしても、家族が「どうしてあげるのがよかったのか」と後悔しやすいケースを避けることが出来ます。
そして大切なのは、死の話題をタブー視すると、いざという時に何も話し合えなくなることが、本人や家族にとって大変悔いの残ることになってしまうことは明らかだと思います。
死ぬ間際にどうしていくか、どうしたいかを理解してもらうため、具体的に次のようなことに配慮しておくといいのではないでしょうか。
・自分が大事にしたい生き方や医療の希望を考えてみる
・エンディングノートや事前指示書の存在を知る
・家族や信頼できる人と「もしもの時どうしたいか」を話す
・葬儀や供養の選択肢、遺産・遺品の基本的な整理方法を知る
また、日常でできることとして、いきなり重い話を持ち出す必要はなく、「もし大きな病気になったら、どこで過ごしたいと思う?」とか、「してほしくない医療とかあるかな?」のような会話から始める人も多いです。
正しく、死の間際というのは自らのQOLの終着点です。
全ての人は自分の望む形で一生を終えたいと望んでいるでしょう。
読者の皆さんも「デス・リテラシー」の重要性を認識して、日常生活を送りながらその力を向上させていきましょう。
そして、家族との対話を通じて全ての家族が「デス・リテラシー」を自分ごととして考えながら、結果としてその力を磨くことで、安心できる人生の終末期を考えてみてはどうでしょうか。(ま)


