「神様のジグソーパズル」 人生のピースを受け入れるということ

こんにちは、盲目のウクレレ講演家、亀ちゃんです。

これは、私が盲学校の2年生の時の話です。
東洋医学の授業の始まりに、担任の先生が雑談として、こんな話をしてくれました。
「皆さん、物理学者のアインシュタイン博士をご存知ですよね。そのアインシュタイン博士が、“私は神様の作ったパズルを解く”と言われたそうです」
私はそれを聞いて、「ほぉ…さすがアインシュタイン博士ともなれば、神様と勝負しますか…。宇宙の果ての話や、見えない分子の世界のことを研究している。人間の考える領域をはるかに超えて、考えているんだなぁ。スゴイなぁ」と思いました。

ふと、「待てよ。私のような凡人でも、実は神様の作ったパズルを解いているのかもしれないぞ」と気づいたのです。
私が思い描いたそのパズルは、ジグソーパズルのようなものでした。
仕事や趣味、出会った人たちや、本で読んだ言葉などが、一つひとつのピースとして、自分の人生のパズルにはめ込まれていきます。
そして、最後のピースがはまったとき、自分だけの人生のパズルが完成するのです。
でも、神様から送られてくるピースが、必ずしも自分にとって都合の良いものとは限りません。
ときには、受け取りたくないピースもやってきます。
やりたくない仕事、会いたくなかった人、言われたくなかった言葉。
あるいは、思いがけない事故や病気。
「こんなピース、要らないよ!」と、思わずゴミ箱に捨てたくなるようなものもあります。

でも、そんなふうに嫌なピースを捨て続けていたら、パズルは完成しません。
まるでトランプの七並べのように、次のカード(ピース)が置けなくなってしまうのです。
私も、「目が見えなくなる」というピースは、受け入れるのにとても時間がかかりました。
けれど、そのピースをようやく自分のパズルにはめ込んだことで、人生が大きく動き出しました。そのピースを受け入れたことで、私は点字を覚え、新しいカウンセリングの仕事を始め、新しい友達にも出会い、たくさんの幸せを感じるようになりました。

当時は「目が見えなくなることで、できないことが増え、失うものばかりだ」と思っていたのですが、今では「何かがなくなるということは、新しい何かが生まれること」だと考えられるようになりました。
そう思えるようになった今、私はとても幸せです。
かつて目が見えていた頃よりも、ずっと幸せです。

人生は、神様と一緒に作り上げるジグソーパズル。
どんなピースも、ちゃんと意味がある――そう信じられるようになった今、私は、この人生を心から誇りに思っています。