「すみません」を越えて:私が一人旅に出た理由
こんにちは、盲目のセラピスト・亀ちゃんです。
11年前の2014年5月に私は「日本全国47都道府県一人旅」を始めました。この旅は、今でも強烈に心に残る体験です。
その少し前、私は出勤のため大阪の梅田地下街を歩いていましたが、不注意で柱にぶつかってしまいました。
「パチーンっ」と大きな音が響き、驚いた私ですが、周囲にはたくさんの人がいたため、恥ずかしくて急いでその場を離れました。会社に着いて一人になったとき、なぜか涙があふれ出し、自分でもその理由がわかりませんでした。
数か月後、たまたま聞いていたテレビドラマのセリフに心を打たれました。
そのドラマでは、中学生くらいの少女が大切なペットを亡くし、悲しみのあまり学校にも行けなくなるシーンが描かれていました。
獣医の先生が彼女に、「君は、亡くしたペットがかわいそうで泣いているんじゃない。大切にしていたワンちゃんを亡くした自分がかわいそうで泣いているんだ」
と伝えたのです。
その瞬間、私はあの日の涙の意味がわかりました。
あのとき私は、多くの人が私の近くを通り過ぎる中で、「目が見えないから柱にぶつかって、かわいそうに」と思われていると勝手に想像して、自分がみじめに感じた涙だったのです。
そのとき、私が知らない所へ行くとき、必ず誰かについて来てもらっている理由が見えた気がしました。
街中で道に迷ったとき、周りの人に助けを求めます。
「すみません。すみません。すみませーん。すみませーん」と周囲に向かって声を出すのですが、そこに誰もいなかったり、声が届かなかったり、相手が忙しかったりすると、いつまでも「すみません、すみませーん」と叫び続けなければなりません。
そんな自分が、何かみじめで、哀れで、心が傷つくのが怖かったのでした。
でも、このままでは、これからの人生もずっと誰かに頼り続けることになってしまう。
それは嫌だと思い、私は「すみません」を1万回言えば、もう傷つかなくなるかもしれないと考えました。
そこで、「日本全国47都道府県一人旅」を思いついたのです。
ちょうどその頃、喜多川泰さんの『ライフトラベラー』という本にも出会い、「不自由はないが自由もないツアー旅行と、不自由だが自由がある一人旅」という言葉に感銘を受けました。
最初の挑戦は大変だけれど、一度やってみれば次は少し楽になるという「0を1にする」という考え方も、自分を後押ししてくれました。
こうして私は、最初の旅先を住んでいる隣の県、愛知県名古屋に決め、「宿泊先も行く場所も決めない」という自由な旅に挑むことにしました。
出発前夜は不安で眠れない夜を過ごしましたが、いよいよ朝、初めての一人旅に出発しました。
その話は、また来月にお伝えしたいと思います。